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院長自己紹介(前編)

皆様はじめまして「ayala 麻布デンタル&ビューティー』院長の加藤礼子と申します。

今回は第1回目ですので、僭越ながらまずは私の自己紹介をさせて頂きたいと思います。

名前ですが加藤礼子で「かとうあやこ」と読みます。今は亡き祖父が名付けてくれたそうです。「『礼子』と書いて『あやこ』です。」が子供の頃からの私の地味な自己紹介です(^^)

幼い頃から医療は身近な存在でした。

父は千葉大学医学部を卒業し千葉大の皮膚科に入局しました。父は子供の頃から腎臓が弱く、入院したまま外出許可をもらって医師国家試験を受けに行ったそうです。合格後は自分が入院している千葉大附属病院の皮膚科で診察、夜は自分の病室で寝るという生活をしていたそうです。その後、千葉県内で皮膚科のクリニックを開業しました。父は、家族でもいまだにビックリするぐらい非常に真面目な人ですが温かくもあり、仕事で忙しかったですが人として大切なことを知らず知らずのうちに教えてくれてきた気がします。

それから、母の両親は九十九里海岸近くの小さな村で小さな小さな診療所をしていました。森の中のような自宅敷地内には少ないながらも数床の病床もあったそうです。私が産まれた頃はすでにお米を精製する場所として使われていましたが(^^;

祖母はいつも冗談ばかり言っている人でした。ある時、咳をしかけた祖父が誤ってお餅を喉に詰まらせるという事がありました。苦しむ祖父を横目に祖母から出た言葉は「あららお葬式どうしよう」。これが効いたのか、祖父は咳込み、口からお餅も出て命拾いしました。また、田舎なので単線で遮断機のない踏切が多く「じいさんがはねられた時はリアカーに乗せて病院まで運んでやったんだよ」など、いつも面白可笑しく話してくれました。祖母は美人だったそうで、近所の村人が元気なのに診て欲しいと祖母に会いにやって来るので、小さな木造4畳半の診療所の中をグルグル走ってもらって「それだけ元気なら大丈夫だ。」と追い返していた、なんていうエピソードも聞いたことがあります。おそらく七十年ぐらい昔の話ですが(^^)

そんなわけで、私も将来は医療で人々の力になりたいと自然と思うようになりました。

幼少期から手先が器用で細かい作業が得意でしたが、歯学部学生の頃、矯正学の実習中に先生から「ワイヤー曲げるの上手だね。矯正科に入ったらどう?」とおだてられたのを真に受け歯科矯正の道に進みました。

矯正治療は難しくもありましたが充実し性に合っていると思いました。ですが、患者さんの要望にもっと応えられるようになりたいと、矯正だけでは満足できず、守備範囲を広げ審美歯科全般に携わるようになりました。つまり、歯の形や色も変えられるセラミック治療や、セラミックによる矯正、もちろんそれまでにやってきたワイヤー矯正・マウスピース矯正もです。

その後、機会があり歯科治療のボランティアでカンボジアへ行くようになりました。カンボジアで体調を崩す人や麻酔科の先輩がいて色んな人の話を聞き経験するうちに、歯科医師といえども患者さまの身体に携わる以上、口回りだけでなく全身管理についてもさらに学ぶべきと感じ、大学病院の麻酔科に入りました。歯科で麻酔というと歯ぐきに刺す痛み止めの注射のことをイメージされる方も多いと思いますが、歯科医師も全身麻酔をかけます。口腔外科医の執刀する口腔外科手術で(ちなみに口腔外科医は歯科医師です)、口腔癌や舌癌・骨折・外科矯正の手術等々の際の全身麻酔です。口腔外科の手術は医科手術に比べ長時間のものが多く24時間近いものがよくありました。腰付近の腸骨という骨を採取して顎骨に移植する手術もよくありました。

歯科麻酔科医は、患者さんの全身状態を問診し、術前には静脈に点滴をとり、気管挿管し、術中は患者さんの容態を診ながらまた手術の進行に先まわりして薬の量を調整します。動脈に直接穿刺しカテーテルを留置する観血的動脈圧測定を行ったり、出血が多い場合には血圧を下げるよう輸液を調節したり投薬したりまた輸血をしたりします。

麻酔科からの研修として医科病院の麻酔科にも出向しました。そこでは、脳外科・呼吸器外科・消化器外科・乳腺外科・泌尿器外科・整形外科・耳鼻科等の手術の全身麻酔を担当しました。そちらの病院では、高齢の患者さんが多く、五十代・六十代の患者さんは若い患者さんと呼ばれていました。指導医の先生の口癖は「若く見えても高齢だからね」でした。幸い私の両親はとても元気ですが、その先生の呪文にかかったかのように両親の身体のことが常に心配でならなくなったのはこの頃からです。

こちらの医科病院では、末期ガン患者さんのターミナルケアについても学び、緩和医療ケア養成コースの取得をしたりもしました。

「子供は小さな大人ではない」と言われるように、「高齢者も元気に見えても中身は若者とは違う」とそれまで以上にお年寄りを大切に愛おしく感じるようになりました。

この麻酔科での経験は、命の重みを非常に感じることとなり、歯科医師にとどまらず医療従事者としての意識に大きな影響をもたらすものでした。